ゲノムの行進
「彼女」の様子が変わった。
とはいえ【或る朝、目が覚めるとグレゴール・ザムザは自分の肉体が巨大な毒虫に変身していることに気づく】的なものではない。
日々、変わりつつある彼女の変化や、或いは成長過程に於いて、僕の認識できる許容範囲から大きく「彼女」のソレが離れていく様子を、主観視している自分に気づいてしまった、と言ったほうが正確かもしれない。
つまり、「彼女」の変化は「僕」の変化であり、僕等の間に横たわっていたはずのデリケートな距離感や関係軸は、そんなふうにしてイビツな曲線を描き始めてしまったのだ。
それは極めて必然な事だと、或る人は言った。
そうかも知れない。
なぜなら、僕等は「親子」なのだから・・・。
4月2日。
この日を迎えるにあたり、彼女が小学生になる為の、極めてややこしいエトセトラは、もう何日も前から、僕と彼女の母親によって周到に準備され、僕自身、伸びきったクリクリの長髪を丁寧に編みこみ、スーツにネクタイ(!!)まで用意していた。
あとは、朝食を済ませ、入学式の時間まで、各自それぞれ与えられた課題を消化するだけだった、はずなのに。
大きなリボンのボレロに、トルコ石のついたブラウス、フリルをあしらったワンピースに、まるいオデコ靴・・・。
その全てはこの日のために、何度も彼女や、彼女の母親と相談しながら決められた、完璧な入学式スタイルだった、はずなのに。
しかし、彼女の「頭が痛いの」という残酷な一言によって、それらは結局、ハンガーからはずされる事は無かったのだ。
それから数日間、彼女は明らかに、僕の知り得る彼女とは違っていた。
事あるごとに、苛立ちを晒し、不条理な理由で喚き、眠りも食事も浅くなり、目に見えない何かによって、自分が制限されてしまうのではないか?と疑心になり、妹に八つ当たりし、何よりそんな自分を不憫に思っているようだった。
そして、言葉にできない彼女のもどかしさは、作為的に破壊された玩具や、でたらめに塗りつぶされたノートや、恣意的に残された哀れな料理に姿を変え、不満を訴える痕跡として山積みになっていった。
それは極めて必然な事だと、或る人は言った。
キミも子供の頃、大変だったんだよ、と。
なるほど、そうかも知れない。 やはり僕等は「親子」なんだ・・・。
小学校も中学校も高校も、僕はそのほとんどを学校や家ではない場所で過ごした。
明確な理由も無く、ただ漠然とした不信感や、義務を放棄する事による妙な優越感のみで、様々な大人たちの頭を悩ませ、軽い病気のような扱いを受けていた。
ただ、僕は「彼女」のように開放的ではなかったから、喚いたり叫んだりはしなかった。
ただ、あらゆるものを静かに拒絶し、鬱積し、やがて逃げ出すのだ。
そりゃあもう迷惑な子供だったに違いない。
「彼女」もいつか僕のように、あらゆる世界のカラクリや社会的な価値観の奥に潜む、くだらない錯覚に嫌気がさし、逃げ出してしまいたいと思うんだろうか?
宗教も、言葉も、音楽も、 教師も、父親も、母親も 、友達や兄弟や、時には自分でさえも まずは疑ってしまうんだろうか?
それでいいんだよ、と或る人は言った。
きっと、そうなんだろう。
あらゆる過去が、今の僕の積み重ねになっていることを思えば、無駄な事なんて、きっと何ひとつとして無かったのだから。
どうであれ、「彼女」は小学生になり、「僕」は小学生の父親になった。
この先、彼女が背負う事になるであろう、不安や迷いが、その赤いランドセルよりも重くならない事を、ただ願うばかりだ。