自問自答による自覚認識の素晴らしきオプティズム
その日、僕の汗腺を崩壊させたものは、37度を超えた記録的な夏夜の猛威ばかりではない。
わずか10.65㎡程の完全な密室で、その瞬間、不意に訪れた無作為的なグルーブは、大量の汗に溺れてしまいそうな僕に息継ぎをさせる事すら許さず、やがて完璧なロジックとなって目の前に姿を現した。
どれだけ俗物過多の飽食時代になろうとも、そのファジーな音動がひとつの簡潔な輪郭を生じる瞬間など因果を越えた奇跡に等しく、ユングでも解き明かす事など絶対に不可能な共時性の歪みを、思いもかけず共有してしまったような後味の悪さは、どれだけ歳を重ねようとも僕を興奮させるには充分すぎるほどの熱を帯びているのだ。
3時間という限られた時間枠の中で、僕が失ったもの。
唐突に弾き切れた2nd string。
割れてボロボロになったティアドロップ型のピック・・。
しかし、そんなものは見渡せば幾らでも代替えが存在する。
とはいえ、代替えのきかないものだからこそ価値があるんだ、なんてくだらない事を言うつもりはない。
そういうものに、どうにもならないほど興奮してしまう自分を確認する事が、僕にとっては極めて重要であり、なにより嬉しい事だったりするのだ。
(もう、30歳だよ。いまさらバンドなんかに熱くなっちゃって。)
(仕事を疎かにしてないか?)
(家庭を蔑ろにしてないか?)
(誰かに迷惑をかけてないか?)
(それ以外のものに情熱を失ったりしてないか?)
大丈夫。
今は生きる事の全てが楽しくて仕方ない。
どうであれ、あまりにも僕は僕なんだなぁ。
退屈なんてものを忘れてしまいそうです。